皆さんこんにちは。池ちゃんです。池ちゃんですが、今回は辻本恭介としての記事投稿になります。辻本恭介名義でインターネットでは1作品だけ出しています。「私が愛した人は秘密に満ちていました。」という作品です。お陰様で6万回再生を突破し、原作執筆者としては嬉しい限りです。良かったら「私が愛した人は秘密に満ちていました。」で検索してみてください。原作小説とポッドキャストがヒットするかと思います。
さて、今回は小説の「無駄」という所に焦点を当ててお話していきたいと思います。皆さん、小説を読んでいて何気ない日常的なシーンが差し込まれた経験はありませんか?恋愛小説などを読んでいると、日常的なシーンが沢山盛り込まれている作品も多いです。
何気ないシーン不要論
飲み会で友人と話していたら何気ないシーンは要らないんじゃないかという話があがりました。一見何気ないシーンだったとしても、それは結末に向けた伏線であるべきだという主張です。なるほど。と思いました。確かにそれは一理あるなと思いました。
何気ないシーンが結末になって「そういう事だったのか!」と思えると確かに読み終わってからの満足感は違うのかなと思いました。伏線でもなんでもないシーンが続いて、結末とも何ら関係のないシーンであった事を読み終わった後につまらないという感覚は分からなくもないです。
実際作っている側の意見
私はかれこれ16年程小説を書いています。最初に書いていたのは小学校高学年の頃です。当時は小説を書くという行為に慣れなさ過ぎて、冗長な作品が多かったんじゃないかなと思います。小学生が書く小説なんて、たかが知れています。
書いている側としては何気ないシーンを執筆するのはめっちゃ楽しいです。登場人物たちが生き生きしてくるというか、より一層リアリティを追求する事ができます。実際私が生きていて、「これは未来への伏線だな」と思いながら生活していますでしょうか。そんな高度な生活が出来ていれば私たちは人生で失敗を経験する事は無いはずです。
個人的にはよりリアリティを持たせるために何気ないシーンを入れるのは私は賛成派です。何気ないシーンを入れる事で、登場人物の人となりなども分かるためです。「〇〇っていう奴はこういう性格なんだな」という非言語的な雰囲気を読んでいる中で読者に想像して欲しいからです。
あまりにも関係ない事は逆効果
「じゃあ何でも関係ないシーンを盛り込めばいいんだ!」と思うのはちょっと違います。話が脱線し過ぎてしまいますし、読者に混乱を招いてしまいます。もちろん、登場人物の雰囲気を持たせるためには必要ですが、何事もやりすぎは注意です。
じゃあどのぐらいの割合で盛り込めば良いのかですが、私の体感だと小説全体の約2割ぐらいは関係のないシーンを盛り込んで大丈夫かなと思います。これ以上盛り込むとちょっと作品の起承転結が見えなくなる可能性があるかなと思われます。
辻本作品の鉄板ネタ「飲み会」
ここで小ネタを挟みますと、私の作品にはよく飲み会のシーンがあります。飲み会が何故こんなに出現するかというと、辻本が飲み会が好きだからです。それと未成年が登場人物でなければ、飲み会で重要な事を話すシーンは割とリアリティをもって読者に響かせる事ができます。ちなみに未成年が出る作品では居酒屋の代わりに喫茶店のシーンを出しています。
共通して言える事は人々が何かしら「外食」しているシーンは物語にとって重要であるという事です。外食って毎日しませんよね。一人で行く場合もありますが、居酒屋や喫茶店は人と行く機会が多いと思います。そのため、例えば主人公と友人といった登場人物が物語のキーになる事を喋る場所としては持ってこいなのです。
「おいおい、結局伏線になっているじゃないか」という意見もあるかと思います。私の場合、物語を進めるために必要な情報は盛り込みますが、居酒屋イントロのシーンでは関係のない事を登場人物たちに喋らせます。それによって前述しましたが、飲み会というリアリティが出る算段です。リアリティを追求するという序盤でお話した事は達成できる訳です。
とは言え執筆に正解はない
元も子もない事を言いますが、執筆という行為は創作です。すなわち、創作に正解はありません。創作の可能性は無限大であるという事です。ジャンルによっては「定石」と呼ばれるテンプレートのようなものはありますが、そこからはみ出しても問題ないという事です。
この話はまたいつか別のブログでお話しますが、私は幼少期にあまり本を読んできませんでした。良くも悪くも定石を知らない状態で執筆を始める事になります。それが吉と出るか凶と出るかは分からないですが、少なくとも「私が愛した人は秘密に満ちていました。」はプラスに働いたんじゃないかなと思っています。ヒットしたかヒットしていないかで言えば、ヒットしたと言える数字が出ているからです。
まとめ
結論ですが、私としては物語には一見無駄に見えるシーンはある程度(2割ほど)は盛り込んでいいんじゃないかと思っています。盛り込んだ方がリアリティが出るからです。リアリティあっての物語だと私は考えています。少なくとも、私が書いているSF小説ではリアリティが大切であるからです。
勿論、全てが伏線になって物語の終盤で爆発する展開を組む事も大いに推奨しています。物語に一切無駄がないのはそれはそれで、緻密な作品であるとも言えるからです。
すなわち、どちらを選択するかはその人が書きたい世界観やジャンルによって決まってくると思います。まずは数をこなして沢山作品を書いてみる事をオススメいたします。これから小説を書き始める人、既に書いている人、皆さんに共通する事です。インターネットに出しているのは1作品だけしかないですが、昔は手書きで恐らく50作品以上は書いています。それだけ量をこなす事が大切であると言えます。
皆さんも良い執筆ライフをお送りください!
